新屋「天吉食堂」田んぼの食堂のパパとボク、時々、ニコミ
小学校からの付き合いで〝Rちゃん〟という友人がいた。家から割と近いお寺の子だったのだが、彼の父は漫画の神様『手塚治虫』のアシスタントをしていたらしく、その影響か漫画を描くのが得意だった。私も当時は絵を描くのが好きだったので、一緒に地元秋田の美術高校に行こうと受験。だがしかし、合格したのはRちゃんだけで私は不合格。なんだかんだで、お互いに美術とは全く関係のない高校に進んだ。
高校在学中はもちろん、卒業してからも付き合いは続いた。私は上京、彼は秋田の〝新屋〟という場所にある美術短大に進んだ。私は上京してからバンド活動を本格的に始め、ライブのポスターやCDジャケット作成などをRちゃんに頼むようになっていた。Rちゃんは当時としては珍しく『Mac』を使いこなし、美大生というのもあってクオリティの高いものを作ってくれた。
Rちゃんが短大を卒業すると、上京して西武新宿線の『中井』に住み始めた。週5で彼の住むアパートに入り浸り、イラストを見せてもらったり、朝までゲームをしたり……あの時は、本当に楽しかった。
それから二、三年くらいだろうか。本当にいつの間にか、まったく会うことはなくなっていた。どちらかが秋田に帰ったとか喧嘩をしたとか、全くそんな理由はなく、ただ気が付いたら連絡先すら知らなくなっていたのだ。
「Rちゃん、漫画家になったらしい」
さらに数年後、共通の友人からそんな話を訊いたのだ。絵を描く仕事の夢が叶って、本当に良かったと嬉しくなった。さっそく、彼の名前で作品を調べてみると──まさかの〝アダルト系漫画家〟になっていたという衝撃の事実。コミケでも人気があったらしく、ネット販売していた漫画もすべて完売していた。
あのRちゃんが、まさかそっちの漫画家に……いや、まったく素晴らしいことですよ。ただ、お寺に生まれ、手塚治虫のアシスタントだった父を持ち、煩悩とは皆無だったあのRちゃんが……まさかねぇ。
思い出の裏には、本当に意外な物語が続いているもんですよ。
先日、地元の秋田へ帰った時のこと。アダルト系漫画家のR先生が通っていた美術短大の近くに、私好みの食堂があることが分かった。そう、新屋にその店はあったのだが、私の家からは車で行くのが望ましい場所。電車やバスでも行けないことはないが、とんでもなく移動に時間と労力を使うのだ。どうしたものかと悩んでいると、父がテレワークの合間に車を出してくれるとのこと。持つべきものは父である。
実は私、昨年の2022年に母親を亡くしており、今回はその一周忌ということで帰郷していたのだ。先に伴侶を亡くした男というものはどうにも弱々しく、車を運転する父の横姿も、なんだか寂しそうに見える。
まぁそれはさておき、私のガイドで遂にその食堂が見えてきた。
ここだっ、『天吉食堂』だ! 割と最近建て替えたのであろう、真新しい外壁と屋根が輝いているが、看板だけはそのままなのだろう、ペンキ剥げと錆びからはその歴史の長さを帯びている。
店の裏は田んぼだけという、田舎食堂ならではの立地にテンションが上がる。さぁ店に入ろうと、駐車場に車を停めてきた父がひと言、
「やっぱし、ここだったが」
「?」
何やら意味深な顔で言った。何だろう……とりあえず、中へ入ろう。
「いらっしゃいませー」
おっほっほっほ、これは素晴らしい! 広い店内は、手前半分がテーブル席、奥の半分が小上がりと〝海の家〟っぽい作りだ。大きな窓からは大自然が望め、そこから暖かな光が店内を照らす。甘じょっぱい、食堂ならではの食欲をそそる香りが堪らない。テーブルに父と向き合って座り、さあ、いってみよう。
「お酒、頼んでいいですか?」
「どうぞ、冷蔵庫がら持ってってください」
かいがいしく店を回す若い店員さんに訊くと、厨房横にある冷蔵庫からセルフでゲットするタイプ。角打ちスタイルとは、いいですねぇ。
さっそく頂いたのは、缶のアサヒスーパードライ。ツィンツィンに冷えた缶を握り締め、プルタブをパキン。酒好きのお父様、運転ご苦労様ですと一礼。
グビッ……グビッ……グビッ……、ス──パ──ドラ旨ァァァァイッ!! ちょっと暑かった日なので、この冷えとゴクリ感はタマラン。それでは遠慮なく、おつまみも注文させていただきますよ。
これですよ、食堂の『煮込み』のお出ましだ。飲み屋の煮込みはもちろんウマいが、食堂で出す家庭的な煮込みも大好きだ。ここのは逆に珍しい〝モツのみ〟タイプ。ネギがパラリとかかっただけのシンプル仕上げ。見た目はシンプルでも味は複雑かつ濃厚で、スープに旨味が凝縮して溶け込んでいる。程よいモツの食感が小気味よく、噛むたびに旨味が溢れてくる。この気取ってない感じ、やはり食堂の煮込みはイイ。
「あれ、親父は食べないの?」
「あー、そんな腹が減ってねがらな」
そう言って父は煮込みに手を付けず、代わりに新聞を開いた。自分の父といえども、さすがは年の功。食堂での新聞姿は、どう見ても〝プロの先輩〟そのものだ。あとニ、三十年経てば、私もこの貫禄を持てるのだろうか。
これも食堂ならではの『カツ煮』(カツ重の飯なし)がやってきた。大きな深皿にカツがドドン、そこへジャブジャブと出汁がブッ掛かっている最高のビジュアル。
そして見よ、この極厚ぶり! 重すぎて腱鞘炎になるんじゃないかと思う程、ズシリとしたカツの一片。大きく開いた口で食らいつくと──うんめぇぇぇぇ! 見た目通りの肉々しい歯ごたえから肉汁がダビダビと滴り、そこへ甘めの出し汁がマリアージュ。食堂でのカツ煮なら、間違いなく過去最高の逸品だ。
壁のメニューを見ていて、どうしても気になったのが『エビフライ重』だった。揚げ物が続いてしまうが、それで大正解。重箱にデデンと三匹のエビフライが並ぶ、威風堂々たる姿。
デッッッッヵ!! 伊勢エビのフライといっても疑わないその巨大さよ。顎関節症になったてもいい、カツ煮の時以上に大きく口を広げ、ガブリッ……ウマいッ!!口に入れただけでもうウマい!! ブリリンと弾けるようなエビの食感と旨味、出し汁が染みた白飯……エビフライ重なんてものは初めてだが、おそらくこれが〝最初〟で〝最高〟なのだろう。
あぁ、わざわざ車を出してもらってまで来てよかった……
「昔はよく、ここに母ちゃんと来てだんだ」
「……えっ!?」
新聞を畳んだ父がぼそりとひと言、意外な事実が判明した。店に入る前に、何やらつぶやいていた理由がそれだったのだ。まったく知らなかったのだが、父と母はここの煮込みがエラく気に入っていて、お互いの仕事が休みの時なんかに、たまに訪れていたという。
「そうなの? 早く教えてよ」
「別に、大した話でもねーべ」
そう言って、父は残っている煮込みをやっと口にした。
二人で最後にここへ来たのは、母が亡くなる二、三年前だったそうだ。私も知らない、二人だけの思い出。今度は母の代わりに、こうして私と二人でこの食堂へ来ているという不思議。この新屋という場所には、あまり来ることはなかったが、私にはRちゃん、父には母、それぞれの思い出があったのだ。
私はこの日のことを、割と……いや、ずっと、思い出として忘れないと思う──。
その後、妹から教えてもらったのだが、そんな父は現在あたらしい〝彼女〟がいるらしい。
しかも、私と食堂に行った時には、既に付き合いがあったとか……
思い出の裏には、本当に意外な物語が続いているもんですよ。
天吉食堂(てんきちしよくどう)
住所: | 秋田県秋田市浜田宮田沢193-2 |
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TEL: | 018-828-6340 |
営業時間: | 11:00~20:00 |
定休日: | 水 |