今夜も未知なる場所、未知なる酒場で乾杯/多磨霊園「山越」
長いのか、短いのか、そんな不確かな人生というものにおいて何を指針としているのかといえば〝悔いのないように〟ということになる。ただ、四十年以上生きていれば〝あの時こうしていれば……〟という悔いも無きにしも非ずだが、少なくとも前もって出来る〝悔いの回避〟は心がけているつもりだ。
それの最たるが〝未知なること〟をすることだ。人、旅、食……近所の通ったことのない道を通るだけでもいい。〝期限〟がある人生で、出来る限り未知なることを体験する……これが私の人生の指針なのである。
これまでで最大の未知なることといえば、間違いなく上京だろう。地元秋田の狭い世界から、世界一の都市で暮らすという未知なる大挑戦。これはね、今でも当時の私に「よく判断した!」と褒めたたえたい。
今はというと、やはり未知なる酒場へ訪れることが主たる指針だ。本当に面白いなと思うのが、どれだけ無名で寂れた町だろうと、必ずそこには素晴らしい酒場があるということ。これをひとつひとつ丁寧に紐解き「ああ、今夜も未知なる出会いに感謝」と、乾杯と相成る。その充実感たるや、他では味わうことが出来ない。
因みに最近、新しい未知なることを体験をした。初めて『鼻カメラ』をしたのだが、そのケーブルの太さに「そんなの絶対入んないわよ!」と半べそをかいた。アレも人生において、十分な未知なることであった。
未知なる酒場を目指すには、未知なる場所へ行かなくてはならない。『多磨霊園駅』は、間違いなく初めて訪れる駅だ。しかし、いくら分かりやすいからといって何という極端な駅名だ。「俺んち、最寄りが多磨霊園なんだ」って、初めて彼女を家に呼ぶときは怖がられないかと心配になってしまう。しかも、駅から多磨霊園は結構離れているというからややこしい。
そんな駅にも、やはり未知なる酒場があるのだ。駅から徒歩数分、『山越』は何とも趣のある佇まいだ。
昭和のモルタル外観美は、完全に〝ただの家〟だ。焼き場の窓とシブ藍暖簾、裸電球の明かりがあるからそれっぽいものの、これで二階のベランダに洗濯物が干してあったら、酒場だと気が付かないかもしれない。
なんにせよ、間違いなく中へ入って飲りたい。未知なるアルミ引き戸を、カラカラと音を立てて引く。
「いらっしゃいませ」
すばらしい! 店内は緩やかに曲がったカウンターと、コンクリートむき出しの床にウッディー強めのテーブル席がズラリ。なんと形容すればいいか悩むが、台形に近い小さな空間がどこか心地好い。
霊園駅が関係しているのか、そのテーブルのひとつに座ると深い落ち着きと安心感がある。おお……早くこの空間と共に酒を飲みたい。
ウッディー調に合わせて、ブラウニーの大瓶を女将さんにお願いする。見てくださいよ、このカラーバランスの良いこと。茶色のテーブルに茶色の瓶と黄金の麦汁がベストマッチだ。
グビッ……ミチッ……グビッ……、ブッパ──!未知なる酒場サイコー! 手書きの注文票に料理名を書き込みながらの片手にはビール。
早くも楽しいが抑えきれず、酒場がスタートした。
お楽しみの料理は『フキきんぴら』から。タレ色のツヤツヤに光るフキは、ほんのり温かい。シャグリッという小気味よい食感と共に、中からは滋味深いフキエキスが滴る。
よく考えたら、都内でフキなんて中々食べられない。有難いお味だ。
これまた教科書みたいな『牛煮込み』がやってきた。ザク切りタイプの分厚いモツへ、バサリと刻み葱の緑と白のパステルカラーが映える。
口に入れた瞬間、トロリトトロと舌に浸透。スープ自体はあっさり目だが、しっかりと煮込まれているので丁度いい味の濃さが私のドタイプ。
「いつものやつで、いいでしょうか?」
「うん、お願い」
背広の先輩がひとり、またひとりと店に吸い込まれてくる。外観と同じで、自分の家へ帰ってきたような居心地の好さがあるのだろう、ほとんどの先輩が独酌。ここでは〝良き妻〟として、女将さんとは気の置けない間柄であることはすぐに解る。
そんな妻が「凄く熱いので」と持ってきたのが『里芋煮』だ。手前に寄せようと、うっかり器を指で触ったところ「アッツ!!」と思わず悲鳴をあげた。なるほど、これはそんじょそこらの熱器ではない。
アッチ、ホッチと大きな里芋へ食らいつく……うまい! もともと硬い里芋が、こんなにも煮汁を吸うのかと感心するほどの沁み具合。でも、ネットリとした粘りは消えておらず、芋の鮮度の高ささえ感じる。これと合わせたのがチクワで、このチョイスにも脱帽。もうひとつ感心したのが、女将さんはよくこれを素手で持ってこれたということだ。〝世界一器の熱い里芋煮〟と認定しましょう。
最近一番印象に残った酒場料理と訊かれたら、間違いなくこの『ホルモン漬』と答えるだろう。一見ただのガツ刺みたいなビジュアルだが、ひと口食べれば一変する。ほぼ、ニンニク!これがバッチバチにウマいのだ!
口に入ったか入らなかったか位で、ニンニクの香気がガツンと口に溢れる。そのままホルモンを嚙み潰すと、さらにニンニクが強烈に襲い掛かってくる。それが何だか爽快とも呼べるおいしさなのだ。
実はニンニクの強い料理は苦手なのだが、これならば……この未知なるニンニク料理ならば、いくらでも挑戦したい。
「ももクロって知ってる?」
「〝もも〟の人と〝クロ〟の人がいるんだろ?」
「いらっしゃい……あら! 生きてたの!?」
「おい、シんでねーから」
目の前では、客と女将さんとの和やかな冗談が飛び交っている。こんな冗談が毎日あって、その内容は毎回違うのだろう。客にとっても、女将さんにとっても、この小さな空間の中で〝未知なること〟が絶えず繰り広げられているのかと思うと、胸が熱くならないわけがない。
店の名は〝山越〟──そう、未知なる山を越えてやってきたのだ。今夜も未知なる場所、未知なる酒場で乾杯だ。
余談ではあるが、上からの『鼻カメラ』は経験したが、下からのカメラは未経験である。経験者の恐怖談を訊けば、これだけは未知なるままでいいと戦慄している。
山越(やまこし)
住所: | 東京都府中市小柳町1-21-5 |
---|---|
TEL: | 042-363-8911 |
営業時間: | 16:00~21:30 |
定休日: | 不定休 |