鮫洲「飯田屋酒店」秘密裏な酒場ナビのテーゼ
「え……? うせやん、うせやろ味論?」
「いやホントだって。今から〝ニノちゃん〟来るってよ」
2月14日のバレンタインデーに、酒場ナビでも〝モテない〟で有名な私とイカは、とある角打ち屋でふたり寂しく『バレンタチノミー』をしていた。
〝鮫洲に『角打ち』があるらしい〟
鮫洲など、すぐに思いつくのは『運転免許センター』くらいで……というか、それ以外などまったく思いつかない。そんなところに〝料理がウマい〟という角打ちがあることを聞きつけ、その店で呑み始めた頃にニノちゃんから連絡が来たのだ。
『飯田屋酒店』
「じゃあ……ほんまに今からニノちゃんがここに来るんやな?」
そもそも〝ニノちゃん〟とは何者なのか。
かれこれ十年前ほど前の話になる──
とあるイベントで、私とイカがそこに参加していた『ニノちゃん』という女の子と出会ったのがはじまりだ。
その時、完全にニノちゃんに〝ひと目惚れ〟をしたイカは、その後幾度となく〝アタック〟を繰り返していたらしいのだが、ニノちゃんはそれをスペインの闘牛士の如くヒラリとかわしてはイカを翻弄し、結果、うやむやのまま月日が流れ今に至ったのだ。
「わ──っ!! アカン、酒飲まな!!」
無理もない。
まったく相手にされなかった本気汁の女の子と数年ぶりに会うのだ、酒で緊張を紛らわしたい気持ちも分かる。
缶ビール以外にも生ビールを出すこの角打ちで、《酒ゴング》……いや、今夜は《ラブゴング》を鳴らすのだ。
「ンッ、ン──ッ、ニノちゃんニノちゃん……」
無理もない。
早くも彼の頭上では、ニノちゃんとの会話が始まっているようだ。
「わ──っ!! アカン、つまみ食わな!!」
というと、店の入口にある乾き物のつまみコーナーへと走るイカ。種類豊富なつまみを物色すること数分、緊張で震える右手に小箱を持って戻ってきた。
『おっとっと』
「うっわ、懐かしい!!」
正直、既に絶版していたのかと思っていた菓子だ。『おっとっと』と言えば私は『とんねるず』のCMを思い出すが、イカッカッカの方は違った。
「ニノちゃんが来る前に、この久しぶり菓子で〝久しぶり慣れ〟させんねん!!」
無理もない。
恐らく、イカにとってもニノちゃんに会うことは、この『おっとっと』と同じくらい久しぶりの再会なのだ。
「……ニノちゃんが来たら、イカがキスをしたイカを食べさせんねん!!」
それは無理がある。
♪ティンコーン
そんな事をしていると、ニノちゃんからのLINEが届いた。
鮫洲駅に到着した様子で、恐らく数分後にはここに現れるはずだ。
「わ──っ!! アカン、ドキドキや!!」
ドキドキをビールで流し込む48歳の顔を、私は戦慄しながら見ていると──ついに、待ちかねた声が聞こえた。
「あ──♪ 味論さんイカさんお久しぶりで~す!!」
『ニノちゃん』
「わ──っ!! ニノちゃんや!!」
「イカさ~ん、お久しぶりです♪」
「わ──っ!! 本物のニノちゃんや!!」
こんなに〝昂奮〟しているイカを見るのは初めてかもしれない。
ショートカットとはにかんだ笑顔がベリーキュートなニコちゃんが、私にも声をかける。
「味論さんも久しぶりですね!」
「そーだね、久しぶりだね!」
いわゆる『キャリアウーマン』というやつで、いつもバリバリ仕事をしているニノちゃんに会うのは、私も何気に久しぶりだった。
「あたし、ビール飲みたいです♪」
「飲んだらええ!! ナンボでも飲んだらええ!!」
そう言うとイカはすぐさま注文カウンターで生ビールを注文してニノちゃんに差し出した。
「どや、ニノちゃん!? うまいかえ!?」
「んまーい!! イカさんありがとう♪」
「ニノちゃんなんか食べるかえ!? ここはメニューが多くて料理もおいしいんやで!!」
「そーなんですか? イカさんて飲み屋さんに詳しいんですね♪」
「テヘヘやでぇ~!!」
〝料理がおいしい〟……て、まだ『おっとっと』しか食べてないのに、とんでもないおっとっと野郎だ。
『恋は妄言』とはよく言ったもので、彼のいつもよりさらに滑らかな多弁は続くのだ。
『ハタハタ』
残念ながら〝こっこ〟という卵は付いてなかったものの、身の淡白で独特の風味がやはりウマい。さらに、頭からガブリエルと音を立てて丸かじるのがまた気持ちいいのだ。
「ハタハタって、味論さんが出身の秋田で有名ですよね?」
「そうそう、俺も大好きでよく食べ……」
「ニノひゃん! ヒャタヒャタは、こーひゃってアチャマからハべるんひゃで!」
小学生の頃、こんな風に好きな女の子の前で頑張っちゃう〝ひょうきん男子〟っていたな……。
『うな肝串』
ほろ苦い肝に甘辛いタレがねっとりと絡み、山椒のピリリとしたアクセントがまた酒を飲ませる。
果たして今後『うな肝串』を出す角打ちに出会うことがあるのだろうか。イカの言うとおり、とにかくここの角打ちはメニューが豊富で味も本当に良い。
「ぃヨッ!! うな肝美人!!」
「やだー! 何ですか、うな肝美人てー!!(笑)」
とにかく、ニノちゃんにデレデレのイカであったが、それはニノちゃんがトイレに行っている間に始まった。
「……アカン、ワイ……やっぱニノちゃん好きやわぁ」
「まぁ……俺も久しぶりに会ったけど、可愛くなってるよな」
「よし! 今度こそ本気で告白したろ!」
突然、辛抱たまりかねたイカが、この場でニノちゃんに告白すると言うのだ。
彼氏だっているかもしれないという根本的な疑問など、今の彼には問題ではないのだ……というより、告白する場に私がいることに疑問がないことが疑問である。
「〝はじめて会った時から好きでした〟で、ええかな?」
「さぁ……いんじゃない?」
そんな〝打ち合わせ〟をしていると、ニノちゃんがトイレから戻ってきた。
「おまたせしました~♪ 次なに飲もっかなぁ~」
「ニノちゃん! ワイ……は、はじ、は、」
えっ!?
もう言っちゃうのか!?
「〝は〟が……何ですかイカさん?」
「は、は、は……」
「?」
「は……ハイサワーでも飲んだらええんちゃうっ!?」
『ハイサワー』
ニノちゃんは初めて飲むというハイサワーにひとまず逃げたイカ。
だが、ここで逃げては男が廃ると言わんばかりに、43歳独身男がさらに喰らい付く。
「あっ♪ ハイサワーっておいしーですね!!」
「ニノちゃん! ワイ……は、はじ、は、」
おお……
今度こそ言うか?
「は、ば、ば……」
「〝ば〟?」
「ば……バレンタインデーやから何かくださいっ!!」
……こっちが恥ずかしくなってきた。
「ん──、何か持ってたかなぁ?」
少し困った顔をするニノちゃんだったが、自分のカバンの中に何かないかを探している様子。
なんて優しい子なんだ……
「あ──っ!!」
「チョコやな!? チョコを見つけたんやな!?」
「なぜかお酢が入ってた──♪」
私&イカ「ニノぉぉおォォォォ──ッ!!」
普段であれば迷わず「なんでやねんっ!!」とでも頭を叩いて〝つっこんで〟いたであろうお笑い芸人のイカだが、ニノちゃんの〝天然〟を前には「そのお酢が欲しかったんや!」と、今夜は菩薩様の如く温和な対応だ。
ここまで〝本気〟なイカを見るのはやはり初めてであるが、ここにきてやっと根本的な質問をニノちゃんにぶつけるのだ。
「二、ニノちゃん! そういえば彼氏おるん……?」
「え? 彼氏?」
「う、うん」
「いないですよぉ!」
「い……っ!!」
イカは「yeah!!」と、一瞬口に出しそうになっていたものの、それをグッと堪えていたのが分かった。その言葉を聞いて若干、緊張が解けたのか表情も明るくなると同時に、
遂に──
「は、はじめて会った時から……」
「いないけど──」
「好……え?」
「もうすぐ、仕事でヨーロッパに住むから、当分は彼氏いらないです♪」
……肌色の黒いイカの黒顔が、一気に青黒くなった。
そして話は、
我々〝酒場ナビメンバーズ〟の《いつもの》展開へと続く。
「よ、……よーろっぱ……」
「そうなの! だから行く前に2人と飲めてよかったぁ♪」
白目になっていたイカは、何とかこの状況を飲み込み、何とかこの現実を受け入れようとしていた。
「そ……そそそうなんや! やったやん、ヨーロッパ、めっちゃええやん!」
震えた声でそう言うと、入口の酒棚へ走るイカ。
すぐに戻ってくると、缶ビールを手にしていた。
『ハイネケン(オランダ)』
「ワイが唯一知ってる……ヨーロッパの酒で祝杯や……!!」
「あはは!! ありがとうイカさん♪」
数分前まで『晴天』と言えるほどの笑顔で輝いていたイカは、その後〝空元気〟のまま、何度もヨーロッパのハイネケンを口に運ぶ。
心の中は、きっと冬のヨーロッパにも負けない、『降り続く雨』ほどに涙を流していたに違いない──
店を出て、ニノちゃんを駅まで送る。
〝じゃ、また日本に帰ったら飲みましょ♪〟
もう一人、涙を流した人物がいる。
イカにはずっと言えなかったのだが……
実は私も、ニノちゃんが好きだった──
飯田屋酒店(いいだやさけてん)
住所: | 東京都品川区東大井1-2-7 |
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TEL: | 03-3474-7308 |
営業時間: | 16:30~23:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |