王子「宝泉」TOKYO名カウンターズコレクション(3)
酒場で飲る席、いわゆる『酒座』には〝アタリ〟と〝ハズレ〟があり、その日の酒場の良し悪しは酒座によって決まるというのは、吞兵衛の諸氏なら周知のとおりだ。
店が空いている時だとある程度は選べるが、余程タイミングがいいか、何十年も通う常連でもない限り〝ココに〟という酒座を、ましてや一見で選んで座ることは難しい。例えば、店が混んでいるのはいいとして、無理やり作ったような窮屈な席で、肩を丸めて飲るのは何だかせわしない。逆に、ガラガラの店内のド真ん中の席で飲るのも、これはこれで味気ないだろう。
理想的なのは、ほどよい喧騒で店内全体を見渡せる席がいい。店主や女将さんの仕事ぶりを眺め、客と客との他愛のない会話をアテに飲る。酒や料理だけではなく、それらすべてを以って酒場を愉しむ、だからこそ酒場で飲る席は重要なのである。
まぁ、そんな酒座に座れるなんて、これが結構〝運〟みたいなところもあるのだが……
北区の王子といえば、駅前は路面電車が走り、すぐ近くに桜の名所である『飛鳥山公園』もある都内でも情緒のある町のひとつだ。もちろん酒場も盛んで、現在改装中の『山田屋』や、キャラの強いマスターが居る『平澤かまぼこ』、玉子焼きで飲れる『半平』などなど、隣の赤羽に引けを取らない酒場町である。その中のひとつに、私が数年前に〝ひとめ惚れ〟した酒場があるのだ。
出ました『宝泉』! 赤字の勘亭流で〝宝泉〟と浮かぶ電光看板。どことなくエキゾチックな店構えに、いつも見とれてしまう。開け放した間口から、縄のれん越しにチラチラと店内が見える。「早くオイデ」と腕を引っ張るので、そのまま吸い込まれるように暖簾を割った。
「いらっしゃいませ!」
おほふっ! 相変わらず素晴らしい光景だ。民芸風の佇まいは、日焼けした壁に未舗装の床、あちらこちらに手書きのメニューが張られている。そしてなんといってもカウンターだ。ここは珍しい〝ダブルカウンター〟なのだ。ひとつは厨房と繋がる〝コの字〟と、もうひとつは通路を挟んで〝ロの字〟カウンターが並ぶ。
さて……やはり問題は〝どこの酒座になるか〟である。客は数人程度で、席には余裕がある。私はただマスターの差配を待ったのだ。
「じゃあ、そちらの席どうぞ」
「えっ……」
おおっ、なんと……!! その案内された席こそ、この酒場のアタリ席、いや、アタリもアタリ、大アタリの席だったのだ。
コの字とロの字の間、つまり店の中央に位置しており、死角ゼロで店内、客、店員すべてが見渡せるのだ。ここに座れるのは初めてだ……何度か訪れては「あそこに座ってみてぇなぁ……」と酒瓶を咥えていたが、ついにそれが叶った。
後ろを向けば……
絶景ヨシッ! また前を向いても……
またまた絶景ヨシッ! もういっちょう、後ろを向いて……嗚呼、ずっとこうしていられるが、ここは酒場だ。酒をまず飲むのが礼儀である。
「はい、ビールです」
マスターが目の前にビール瓶とグラスを置く。ここにも、このカウンターの魅力がある。床からカウンターまでが絶妙な〝高さ〟なのだ。一般的な高さに比べてかなり低く、私の身長が173センチで、座って足を入れると腿の上が僅かに擦れる。
ちょっと窮屈だが、これがいいのだ。カウンターに肘を掛けたとき、何とも言えない〝スッポリ感〟が味わえるのである。猫でいうところの、狭いところに収まりたがる感じに似ているかもしれない。
ゴキュ……ゴキュ……ゴキュ……、うましみっ! スッポリ感と共に潤す麦汁の旨きことよ。今夜はどう転んでも〝アタリ〟だと約束された気がする。あとは飲るのを愉しむだけなのである。
「ワサビ、生姜、ヌタのどれにしましょう?」
最初に頼んだ『ホタルイカ』は、珍しくワサビ、生姜、ヌタの三種から味付けを選べるのだ。迷いながらも生姜をチョイス。
ムチムチンっとした肌質に、ツヤツヤの烏賊肌が美しい。噛むとプツリとした食感と共に、中からホロニガの旨味が押し寄せる。生姜の辛味が、またいい援護をしてくれている。
「お母さーん、ホッピーお願いね」
「はいよ」
コの字カウンターからロの字カウンターへ、マスターと女将さんの掛け声が飛び交う。マスターは酒場を回し、女将さんは主に酒を作る。マスターの〝お母さん〟と呼ぶのが、まるで家庭の居間に居るかのようで面白い。おっ、次の料理がやってきた。
宝泉といえば名物の『やわりめ』を忘れてはいけない。醤油と味醂で柔らかくしたのを炙ったもので、これがまた分かりやすい旨さなのだ。
その名の通り歯触りに柔らかく、かつ半生の舌ざわりが最高だ。七味を振ったマヨネーズとの相性も抜群で、これと酒さえあれば何もいらないくらいだ。
「鯖の塩焼き、ちょうだ~い」
「はーい、サバの塩焼きひとつねー」
コの字で独酌する、お婆ちゃん客の活舌が可愛い。ロの字に居る御父さま方ふたりは、私には難解な駄洒落の話に夢中だ。客の声、マスターと女将さんの掛け声が、ちょうどいいBGM……まだまだ、このアタリ席を愉しもうじゃないか。
冬限定のおすすめ『おでん』をいっておきましょうか。安定のコンニャクとがんもどきは、丁度の沁みり具合。練り物代表のちくわは大振りで、カラシをタップリ付けてが吉。
大根はかなりの力作で、色味、形はもちろん、シャクリと噛んだ時に中から滲む出汁が甘くておいしい。冬限定なのが惜しい……ん?
アラ、丼底に隠れていた昆布がうれしいじゃないの。
昆布をしゃぶっていると、常連らしき先輩ひとりが店に入ってきた。先輩はコの字の方を見ながら渋い顔をしていると、ロの字で客の相手をしていた女将さんが声を掛けた。
「たまには、こっち来なさいよー」
どうやらこの先輩、普段は〝コの字の客〟らしい。そのコの字の席が埋まっていて渋い顔をしていたのだろう、女将さんの誘いに「しかたねぇなぁ」と、まんざらでもない表情の先輩が、ロの字のひとつに座った。
えぇ……わかります、わかりますとも先輩。やっぱり酒場は、どこに座れるかが大事なんですよ。私はスッポリと身体がはまったカウンターで、もう一度辺りを見回した。
しみじみと独酌る客や店主の仕事ぶり、女将さんは客と笑い、そして目の前のカウンターでは旨い酒と料理──アタリだ、やはりここは全てが一望できる最高の酒座だったのだ。
「すいません、生ホッピーください」
「お母さーん、生ホッピーひとつ」
「はいよ」
コの字からロの字、ロの字からコの字の掛け合いは続く。ここが私の中でのベストカウンターであることと、今夜の酒座が長っ尻になることは間違いなかった。
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宝泉(ほうせん)
住所: | 東京都北区王子1-19-10-102 |
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TEL: | 03-3914-2726 |
営業時間: | [平日]17:00〜23:00 [土]17:00〜22:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |