西天下茶屋「二見食堂」はじめての他人丼フレンドリー
「なんでいらんねん!!」
「いらんゆーてるやん!!」
初冬の朝8時。
兵庫県西宮市のマンションでは母親と息子の間で怒号が飛び交っていた。
「お弁当作ったんやから持っていき!!」
「いや、ほんまにいらんねんて!!」
これまでに過去2回ほど、酒場ナビメンバーのイカと『関西酒場めぐり』をしており、毎回もこのイカの両親が暮らす西宮市の実家で寝泊りをさせてもらっているのだが、今朝は出発を前にして〝母子喧嘩〟が始まった。
私が身支度をしている最中には始まっており、よくわからないが……どうも私たちに〝弁当を作ったから持っていきなさい〟というイカの母親に、イカは〝必要ない〟ということが喧嘩の発端らしい。
黙って様子を伺っていたものの、正直、私も年齢的にすぐに満腹になるので出来れば〝ご遠慮したい〟という表情を、今度はイカの〝父親〟が推し測ってか、
「お母ちゃんな、この子らこれからめっちゃ飯食うんやって」
と、横から母子喧嘩の仲裁に入るのだが、
「ええやん! 味論さんもさっきから弁当食べたい言うてるやん!!」
イカ・父親「ひとことも言うてないやんっ!!」
さすがは親子、息の合った〝親子漫才〟はツッコミと共に終わり、申し訳ないと思いつつもイカの母親にはお手製の弁当を持たずにはしご酒へと向かうことにしたのだ。
そんな温かな関西家庭の日常を垣間見た後、私たちは数軒のはしご酒をした後に『大正区』にある酒場へと向かっていた。
『津守駅』
「大正区は、独特なとこやねんで」
大阪で暮らした経験があるイカは、以前ここへ訪れたこともあるのだが、川で囲まれた〝隔離島〟のような土地に『大正駅』というJRの駅がたったひとつしかないという、まさに〝陸の孤島〟だと言う。
私もイカも、その大正区にある目的の酒場へ向かう情報は『食べログ』くらいしかなかった為、食べログが記す〝最寄り駅〟へとまず向かったのがその『大正駅』……ではなく、この『津守駅』だったのだ。
「なんか……ほんまになんもないとこやなぁ」
「この駅でほんとに合ってるのかよ?」
グーグルマップで『津守駅』から西側にある『大正区』に行くためには、やはり〝川〟を渡らなければならないように見える。
〝きっとどこか途中で、地下からでも川を渡れるのだろう……〟
そんな漠然とした考えで、とにかく、川沿いを南へ向かって歩いてみたのだ。
──10分経過
まぁ、これくらいならいつもの〝酒場めぐり〟でよくあること。なんなら、これくらい最寄り駅から歩いたほうが素敵酒場に出会えるというものだ。
だが、歩きながら川の方を注視していたものの、〝大正島〟へ渡れそうな橋や地下道は、なかった。
──20分経過
「寒い! もう限界や! タクシー拾うで!」
この時11月末。
アラフォーの2人には、これが限界。いくら歩いても大正島へ渡れるような入口は見当たらなかった。
……代わり映えしない国道。
そもそも〝食べログの最寄り駅ってのは『直線距離』でということなのでは……?〟と、薄々私たちは気づいていたが、そんなことを言っている場合ではない。とにかく失った時間を取り戻すべく、タクシーを捕まえようとしたのだが……
──30分経過
ま──ったく、タクシーが通らない!!
とにかく、トラックばかりでタクシーがまったく通らないのだ。その時も言っていたのだが〝大阪三大タクシー通らない国道〟に認定したいほどである。
コンビニで休もうにもコンビニもない、人に道を訊こうにも人も歩いていない……。
久しぶりに、本当に心が折れそうになった2人の前に、紺色の暖簾が揺らいだ。
「あっ! あれ食堂ちゃう⁉」
反対車線側に、なんとも渋い店構えの食堂が突如として現れたのだ。
私たちは急いで反対車線の歩道へ向かった。
『二見食堂』
ゴクリ……
近くで見ると、なるほど、これは〝そそる〟面構えだ──
しかし……本日のはしご酒はすべて決まっており、何度も言うが次は大正島の酒場に行く予定なのだ。今朝、イカの母親の弁当を断ってまでした〝胃袋計画〟を、ここまできて狂わせるわけにはいかない──
のだが……
〝いや……これは入るしかないだろ〟
空腹、疲労……そして〝飲酒欲〟
私たちは有無も言わず、まるで暖簾に吸い寄せられるように店へ入ったのだ。
「いらっしゃい」
中に入ると、店の主の声と共に〝ほんわり〟とした暖かい空気に包まれた。
その元は、店の中央にある石油ストーブからであった。
〝ああ……生き返る……〟
こじんまりとした、模範的な大衆食堂の店内。
〝ジャケ買いCD〟ならぬ〝ジャケ入り食堂〟は、見事に〝当たり〟を引いたのだ。
さらに……
『OHSがあるやんっ!!』
《OHS》……これまでに何度も説明しているが、(O)おかずの(H)入った(S)ショーケースの略であり、アホらしいとは思うが、もはやこの呼び名以外で他の呼び方がわからない程、酒場ナビでは浸透しているのだ。
《OHS》があるという心強さに、まずは食堂瓶ビールで《酒ゴング》して、国道沿いを歩いて汚れた喉を洗い流すべく《喉を洗う》のだ。
(チーンッ)
『天ぷらセット』
早速《OHS》から取り出した『天ぷら』を、店の主がレンジで温めてくれた。
かきあげ、さつまいも、レンコン……なぜか『ゆで卵』が添えられている感じがまたいいじゃないか。揚げたての『天ぷら』も魅力的だが、この時間が経って萎れた衣に少し醤油をかけて嗜み喰らうのも、大衆酒のアテとしては丁度いい。
「あれって……なんだろ?」
壁に貼られていたメニュー札をなんとなく見ていると、今まで見たこともない料理名があったのだ。
〝他人丼〟
「お前……他人丼も知らんのかいな」
色黒の驚いた顔でイカが言った。
どこにでもある『親子丼』とは〝鶏肉×玉子〟ということからその名が付いたのだが、この『他人丼』とは〝牛肉×玉子〟や〝豚肉×玉子〟という組み合わせから親子ではなく〝他人〟ということで『他人丼』というらしい。
この上方らしいネーミングセンスに感心した私は、その丼を注文することにしたのだ。
『他人丼』
ン……ま────いッ!!
初めて食べる料理といっても、私もいい大人なので大体の味の見当はあったのだが……このウマさにはビックリ丼キーである。
『牛肉』と『玉子』の〝他人タイプ〟なのだが、他人どころか〝親子丼〟の間柄でもここまで絶妙なバランスの味付けと調理はない。半トロ卵が、牛バラ肉のビラビラにしっかりと馴染み、そこに玉ねぎの甘美がイヤラシくアピールしてくる絶味──、たまらなくウマい。
「ハムッ、ハフハフ、ビュッ!!」
「……おい味論、ひとりで食うと腹膨れるで」
「いや、なんか……これめちゃめちゃウマいんだよ」
夢中で貪り、結局そのまま私が全部食べてしまったのだが──
よく思い返してみれば、どこにでもある親子丼の鶏肉が牛肉になっただけの普通の丼だったのかもしれない。
だが……
この他人丼の味には、さらに、なんというか……そう、
〝優しさ〟
を感じたのだ。
寒空の下、歩き疲れてたまたま見つけた大衆食堂で、中に入ると石油ストーブの暖かさと香りが漂い、ホッカホカの丼をお母さんが出して──
そうだ、
〝他人〟と言いつつも、〝お母さん〟のような、優しさに包まれるような、そんな丼だったのである。
お母さんといえば……
「今朝、イカさんのお母さんには悪いことしちゃったな」
「なんでや? 弁当なんかいらんやろ」
何度か家に訪れているとはいえ、それこそ〝他人〟である私にまで用意してくれたイカの母親の〝優しさ〟のこもった弁当を受け取らなかったことを、今になって悔やまれてきたのだ。
「……お母さん、どんな弁当を用意してくれるつもりだったんだろうね。おにぎり、玉子焼──」
「にぎり寿司の弁当やったんやで」
……にぎり、寿司?
大正島の酒場へとつづく。
二見食堂(ふたみしょくどう)
住所: | 大阪府大阪市西成区南津守2-2-18 |
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TEL: | 06-6651-0804 |
営業時間: | - |
定休日: | - |