大森「富士川」独酌万華鏡ダイアリー(2)
酒場で飲っていると、ちょっと気になることがある。
カウンターにひとり、肘をついたまま酒瓶を見つめるジィサン。ジョッキ片手に、なにやらニヤケ顔の大学生。およそ大衆酒場には相応しくない、上品で恰幅のいいおばさんは、評論家のような目で煮魚を突いている。
『独酌』
客同士での会話やスマホを見るでもなく、ただただその酒場に溶け込んでいるひとり呑兵衛は、一体なにを考えながらその時間を過ごしているのだろうか。
私自身もそう、ひとりで飲っているときはどうしてるんだっけ……
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「すいません、今一杯です」
また、フラれた!? 『蔦八』にフラれるの、これで何回目よ……。たしか一回目も満席で、二回目は休業だったか……チィィィ、マジか、酒場の神様はどこに行っちゃったのよ? 並ぶってのも、ナンだしなぁ……しかたがない、自分で作った酒場データーベースで、他の店を調べてみるか。
えーと、おおもり、おおもりと……あっ、蔦八の〝はなれ〟ってのもあるのか。いや、だめだ。本店を先に行かずして、行けるかっつーんだよ。
他には……あ、ここがあったかぁ。……うん、とりあえず覗いてみっかな。
この『ミルパ商店街』の中に、あるらしいが……あっ、あれか!
『富士川』
すっごく、いいじゃない! ちょっと食堂感もあるけど、クンクン……店から匂うのは小割烹系っぽいな──おやっ?
反対入口の看板の雰囲気、どっかで見たことがあるよな……あっ、西国分寺の『ニュー西国村』のにそっくりじゃん。この時代の酒場って、こんな看板が流行ったのかなぁ? まぁいいや、中に入ってみよーっと。
「いらっしゃい」
「すんません、一人です」
うっひょー、中もいいですねぇ。しかし、まだ時間が早いけど混んでるなぁ。
「ここ片付けるんで、待っててください」
「あっ、じゃあ先にトイレ貸りてもいいですか?」
「そこの階段上がったらありますよ」
「ありがとうございます」
トントントン……
なかなか、急な階段だな。えーと、トイレはと……
うわ、広っ!!
おっ、反対にも座敷がある!! 見た目と違って、めちゃめちゃ大箱じゃん。いいねぇ、ここ貸切ってイベントやったら最高だろうなぁ……おっと、それよりトイレトイレ。
……あれ、二階は女子トイレしかないぞ? 男子トイレは、もう一つ上の階か?
──よいしょと、やっと三階に着いた……うわっ!
ここにも座敷があるけど、すごい生活感……奥で誰か住んでたりして。いや、それより早く小便をしよう。
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「このテーブルどうぞ」
「ありがとうございます」
あー、スッキリした。しかし、いい眺めの酒座だね。店の中に提灯なんて、神田の『仙人 宮ちゃん・ふじくら』くらいかな。
おほっ、テーブルの角をガムテで補強してるのか。いいね、これは『テーブル名鑑』用に撮っておこう。
よし、とりあえず何か頼むか。
「すいませーん、酎ハイと……あっ! あと、牡蠣酢ください」
「酎ハイ、牡蠣酢、はいー」
うふふ、牡蠣酢があったとは、うれしいねぇ。牡蠣酢つったら、溝の口の『十字屋』がウマかったな。あと、量があって安い。あれ、ナンボだったっけなぁ。600円、くらいだったような……?
「酎ハイです」
「おっ、あざまーす」
ぐびっ……ぐびっ……ぐびっ──ふぅ、落ち着いた……けど、やっぱり十字屋の牡蠣酢の値段が気になってきた。たしか、スマホに写真があったはず。
あった、あった。これの店内写真を拡大っと……
フムフム……あ、やっぱ600円だったわ。そういえば、ここも相当な大箱だったな。俺って、やっぱ大箱好きだなぁ。
「どうぞ、牡蠣酢です」
「きたっ!」
これよこれ、たまんねぇぜ。おっ、牡蠣以外にも具沢山だ。紅葉おろし、ネギとレモン。これは……きゅうりか。じゃあ、まずはひと摘み……
むふぅ、もっちりしてるねぇ。どれどれ、お味の方は……じゅるん、ハモハモ──やっぱ、おいしい。牡蠣酢を考えたやつ、天才だよな。うん、なんか〝刺身欲〟に火が点いちまったな。
「すいませーん、貝刺し盛り、お願いします」
「はーい」
「あっ、あとしめ鯖も」
「しめ鯖ね、はい」
今日は揚げモンとか、いらん。刺身系でチビチビ飲ろう。ただいまの時間は?……はい、まだ四時でーす。
ここ、ずっと居れそうだわ。
あの角席の独酌先輩は、何で飲ってるんだろう? んー、ありゃハマチかな……? ハマチとコップ酒ね、先輩のスゴイところって、少ないアテでずっと飲れるところだよな。俺なんか、どうしても何品か頼んじゃうもん。
こっちの独酌先輩なんか、背中でアテが見えないけど、貫禄がちげえ。ははは、もしかしたら〝霞〟で飲ってんのかもね。徳利は見えるけど……ほんと、何食ってるんだろう?
「はい、貝刺し盛りとしめ鯖ね」
「おっしゃー!」
ひやぁ……この彩は、もはや芸術品じゃないですかぁ。ホタテちゃんにツブ姫、ホッキ譲に……アワビ姐さんまでいる。こりゃ、ひと足早い誕生日だ。この中から、最初に俺から選ばれる娘は……
ツブ姫、君だよ! さぁ、おいで。
コリッ……コリッ……コリッ──いい声出すじゃないの。つやつやの肌に、艶めかしい歯触り。おいしいよ……ああ、君はとても、おいしいよ。
次の娘に行く前に、しめ鯖、君もいっておかないとね。ちょいと、断面を見せていただくよ。
ほら、あなたも美人だねぇ。胸元はうっすらピンクで肉厚、見るからに若くて弾力がある。
しめ鯖に対して〝若くて弾力がある〟か……なんか、いい例えじゃね? こいつは自分で作った酒場メモアプリに、メモをしておこうかな。
若くて、えーっと、弾力があると。カテゴリーは〝エロス〟で、あとは登録……ポチリ。よし、じゃあ食べますか。
サクッ、ハモハモ──いい、酢締まり具合。しっかり旨味がノッて、こりゃ醤油なしでもイケる。やっぱねぇ、しめ鯖だけは酒場に来て食べないと。ウチの近くのスーパーのやつ、全然おいしくねぇんだよな。
とにかく、これで今日の役者たちが揃った。じゃあ、次はアワビ姐さんをいただくとしますか……と、その前に。
「すいませーん。レモンサワーください」
さて、ひと段落したし、ここが記事のネタになるか考えてみるか。
特徴は……安くておいしい、あと大箱か。外観もかなりイイよね。客はどうだった? んー、みんな静かに独酌してるから、これといって特にないか……あ、さっきの背中先輩で〝背中をアテに飲んでみた〟なんてどう?……それの何がおもしろいんだよ。〝安くておいしい、あと大箱〟といったら、溝の口の十字屋。溝の口で他になに書いたっけな。えーっと、『かとりや』か……あっ!〝独酌万華鏡シリーズ〟にしたらどうだろう……?
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「ごちそうさまでーす」
「ありがとうございました」
あぁ、いい酒場だったねぇ。とりあえず、ネタの続きは家に帰ってから考えるか。ちょっと外が暗くなったけど、時間は……まだ五時かよ。どうしようか、うーん……蔦八にワンチャン、トライしてみる?
いや、止めておこう。
きっとね、今日の酒場の神様は、富士川へ来させるために導いてくださったのだよ。
おっ?
今の言い回し、記事のオチに使えそうじゃね?
うん、これは酒場メモアプリにメモを……
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『独酌』
それは、自分だけの特別な時間。今宵もあなたの心の中にだけ、そっと『万華鏡』のように、色とりどりの酒場模様を映し出している──
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富士川(ふじかわ)
住所: | 東京都大田区大森北1-9-8 |
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定休日: | 年中無休 |